2024/12/06
【新居関所と手筒花火の新居宿を訪ねて】
令和6年11月28日(木)PM1時15分~3時30分、新居関所を発着点に「新居関所と手筒花火の新居宿を
訪ねて」を開催、参加者は静岡市~湖西市と幅広く34名(男11名、女23名)で行なわれました。
冒頭にしずおか健康長寿財団中野課長から「まちなかぶらり散歩」参加のお礼、財団の取組み及び、今後
の活動へのご協力、新居古里ガイドの会 寺田会長、山本さん、太田さんの紹介
ガイドさんから新居町は台風・地震・津波により町並みが大きく変わった事を地図などを用いて詳しく教えて
いただきました。
1600年に関所が設置当初浜名湖の西側ありました。元禄12年(1699)の台風の高潮の被害にあい
関所と城町を移転、宝永4年(1707)の大地震と津波により宿場は壊滅し再度の移転、まず寺社を山麓
に配置し碁盤目の京都風の町並みを新居宿に導入し今もその町割りや雰囲気が残されています。
江戸貞享年間には既に諏訪神社祭礼で行われており、今もなお、伝統技術や囃子等が受け継がれています。
町民(花火六町)のための祭事であることから、神事の一部として古式に則って行われます、笛や太鼓、
法螺貝が鳴り響く中、一度に数十本の手筒花火が乱立する様は新居独特のものです。
関所改めを行った中心となる建物
嘉永7年(1854)の地震で倒壊、安政2年(1855)から安政5年にかけて建て替えられました。
関所の遺構としては全国で唯一現存する建物です。昭和30年に国の特別史跡に指定されました。
背後には書院のほか関所役人の休憩所となった勝手や台所などがありました。
下部の写真 関所敷地の東側にある渡船場護岸
江戸時代、新居と対岸の舞阪を結ぶ今切渡船の渡船場、此処から旅人が舞坂へ渡っていました。渡船場の長さ
は約74mありましたが、現在は国道より南側は住宅地となっています。護岸には波除け杭が打ち込まれ
ていました。
宝永の地震後、神社仏閣がすべて山麓に配置された京都風町並み。現在でも細い路地沿いにはいわれや
伝説がある7社寺が並んでいます。
国道の騒音を離れ細い寺道をぶらり歩けば新居宿の歴史を感じます。
明治34年頃松井米吉が芸妓置屋を開業、大正初期に平屋建てから2階建てに改築後芸妓置屋と小料理屋
として営業を再開。昭和5年に芸妓の寮を増築し昭和10年には2階建ての宴会場を新築しています。
平成18年、暫く空き家であった元小松楼を町内の活性化を目指す「新居塾」の有志が清掃修繕を行い、一
般公開を開始、21年に国の登録有形文化財に登録されました。現在は湖西市の「小松楼まちづくり交流館」と
して地域の福祉活動や湖西市を訪れる人とのふれあい交流の場としてまちづくり事業の拠点となっています。
1階は地域イベント作品などが展示されています。右上の写真は2階に展示してある小松楼にいた芸妓さん
の写真です。
今後も、しずおか健康長寿財団の事業にご協力宜しくお願い致します。
取 材:健康・生きがいづくり推進員 石川哲男(西部地域担当)