2024/02/21
はつらつ生きがい講座 【興津歴史探訪~徳川家ゆかりの寺院を巡る~】
薄曇りではありましたが2月にしては暖かい16日午後1時、興津駅に総勢30名余り集合し、A班、B班に分かれて興津の町の歴史散歩開始です。国道1号線(旧東海道)を歩き、興津宿公園にて興津の町の成り立ちや東海道53次17番目「興津宿」が栄えていた当時のお話を聞きました。飯田さんは御年82歳、興津の生き字引のような方で、歩きも軽快、興味深いお話をたくさんしてくださいました。
江戸時代には脇本陣として使われていた水口屋は明治時代以降やがては宮家や政治家、文化人の別荘旅館として利用されたそうです。旅館の歴史は昭和60年に幕を下ろしましたが、当時使われていた食器類や著名人の書等を見ることができます。専任のガイドさんが丁寧に説明してくださり、しかも入場料は無料です。ふらりと訪れてみられてはいかがですか。アメリカ人オリバー・スタットラー著の「JAPANESE INN」で紹介されたお宿です。
坐魚荘は、明治期の政界の最後の元老・西園寺公望が政治の最前線から引退した後、温暖で風光明媚な興津の地を気に入り別邸として建てられたました。引退後の別邸とはいえ、当時の日本政界の大物による訪問が頻繁に行われ「興津の坐魚荘詣で」と言われたそうです。西園寺氏は激動の大正・昭和の時代、のんびりとした隠遁生活は送れなかったのですね。老朽化のため博物館明治村に移築されましたが、地元の方々の熱心な活動のおかげで、平成16年に復元され現在無料で公開されています。
清見寺のことなら何でも知っているというベテラン専任ガイドさんによる熱心な説明を受けるA班の皆さん。1300年程前、興津が清美関と呼ばれていた頃に建立されたという由緒正しき歴史の古いお寺です。徳川家康とは深い結びつきがあり、徳川江戸時代徳川一門の帰依をうけるところとなったそうです。明治期においては天皇も御成りになりました。見事な庭園もあり、古代から現代に続く日本の歴史触れることのできる古刹です。ぜひ一度は訪れてみてほしいです。
清見寺の境内を走り抜ける鉄道。全国に寺社は数多くあれど、このような風景を見ることは他ではないのでは?海と山の間に僅かな土地しかない興津としては大動脈の鉄道を通すための苦肉の策であったことでしょう。鉄道の横を歩きながら、昔とは風景は異なってしまったけれど、日本の歴史と共に発展し変わっていった風景を味わい、また変わらず残せるものは残していかねばならないのではと、ちょっぴり高尚なことも考えた筆者でした。皆さん2時間半の短い散策ではありましたが、健脚ぶりを発揮し、無事歴史探訪を終えることができたのでした。
取 材:健康・生きがいづくり推進員 清水 知子(中部地域担当)